湯たんぽと疑似カップル〜サンキュータツオ『ヘンな論文』

ヘンな論文 (角川文庫)

ヘンな論文 (角川文庫)

サンキュータツオさんは、自分にとっては思い入れの強い『俺たちのBL論』(文庫化に伴い『ボクたちのBL論』に改題』)の人で、かつ、ポッドキャストを2番組も聴いているので、親しいお兄さん的な感じ。(でも年齢的にはタツオさんが年下)
実は、この本の元となるTBSラジオ荒川強啓デイ・キャッチ!』のコーナーも聴いていたので、こうした珍論文研究の取り組みについても知っていたのだが、ビブリオバトルで数回紹介されたのをきっかけに読んでみた。


感想を一言で言えば、「さすが!でも、突き抜けてはない」。
予想通りに面白い。でも自分の期待していたレベル(『俺たちのBL論』級の面白さ)が高過ぎたためか、それを遥かに超えた内容というわけではなかった。


この本では、13本の論文が、1本につき1章という形で紹介されているが、13本目の「湯たんぽ」研究の話が圧倒的に面白い。さらに、その後の「あとがき」までの流れが最高で、この熱量が本全体に行き渡っていれば、自分の中では、『俺たちのBL論』を越えていたと思う。
タイトルからは分からないこの本の最大の魅力は、あとがきに書かれている。

研究は長らく「人」に焦点を当ててこなかった。この本ではなるべく、論文の内容だけではなく、それを書いた人がいて、その人もみなさんとおなじ人間なんだ、ということをリアルに感じ取ってもらいたいということを意識して書いた。
「あっちにヘンな人がいる」という笑いもいいのだが、この本を読んで、「あっち側」の人の気持ちを理解し、「あっち側」の視点に立って、いままでいた「こっち側」の風景を見たときの面白さを、少しでも感じ取ってくれた人がいたらこんなにうれしいことはない。


だからこそ、伊藤紀之先生の家を訪れて、湯たんぽコレクションを見せてもらう(でも家族には全く理解されない笑)13本目が圧倒的に面白いのだと思う。そして、あとがきでは、今まで観察する側だったサンキュータツオも、半ば当事者的に、伊藤先生の論文の無断引用に怒ってみせる。こうした主客の逆転がとてもスリリングで、読んでいる側もハッとさせるのだ。


いや、実際、湯たんぽ研究は、研究内容もとても面白く、室町時代からあった湯たんぽが、江戸中期から後期について消えてしまった理由について、絵画や小説、俳句など様々なものから推理していくのだ。結論としては一度滅びかけた湯たんぽが西洋経由で「舶来品」として受け入れられ、再び隆盛を極めた、ということなのだが、まさか国外が重要なカギを握っているとは思わず、ミステリを読んでいるような気持ちになった。レンブラントフェルメールの絵にも湯たんぽ(フット・ウォーマー)が描かれているなんて初耳だ。


なお、もう一つ挙げるとしたら、やはり二本目“公園斜面に座る「カップルの観察」”が面白い。
横浜港大さん橋国際客船ターミナル」をフィールドにして、その斜面に座るカップルが、それぞれどの程度離れて座るか、距離によってどの程度密着度が変わるか、等を調査する内容。
その内容は、いかにも「ヘンな論文」的で、それだけだと「へぇー」なのだが、このフィールドワークが、調査対象にばれないよう、調査する側は男女ペアの疑似カップルで行われる、というところが、かなりドキドキする。しかも、実際に、調査にあたった3組の疑似カップルのうち、1組がつき合うことになったというからめでたい。


大学生は楽しそうだなー、大学生に戻って調査したいなーという無邪気な夢を見てしまったのでした…。
なお、娘(小5)に読ませたら、コンピュータにしりとりをさせる研究(11本目)が気に入ったみたい。確かにこれも面白かった。


『もっとヘンな論文』も読んでみよう。

もっとヘンな論文

もっとヘンな論文

築地の仲卸と編集のこれから〜碧野圭『書店ガール』(5)(6)

書店ガール 5 (PHP文芸文庫)

書店ガール 5 (PHP文芸文庫)

書店ガール 6  遅れて来た客 (PHP文芸文庫)

書店ガール 6 遅れて来た客 (PHP文芸文庫)

主役交代の4巻で、今後の「書店ガール」の看板は、宮崎彩加と高梨愛菜が背負っていくのかと思いきや、5、6巻の主役として宮崎彩加に次いで抜擢されたのはと、初の男性主人公となる元祖「書店ガール」の夫・編集者の小幡伸光。
ちょうど編集という仕事に興味を持ち始めた自分にとってドンピシャな題材だ。
最初に、何故今さら編集という仕事に興味を持ち始めたのかを少し説明したい。


まず、今年の夏に、築地の歴史に興味を持って中沢新一『アースダイバー 東京の聖地』を読んだ。
この本は、古典的名著『アースダイバー』の続編として、築地と明治神宮という、まさに今変わろうとしている二つの場所*1を「聖地」として捉え、その歴史を掘り下げた本。なのだが、築地についての説明は、「仲卸業者」という存在の重要性を強く訴える内容となっていた。
この本を読むまでは、直接、商品の販売に関わる仕事をしていない自分が、あくまで消費者の立場から考えた場合、中の工程は出来るだけ無くした方いいのではないかと思っていた。実際、農産物には「産地直送」というような形もあり、市場で仲卸を挟む意味があまり理解できなかった。
しかし、築地市場には、400年もの歴史をもつ、海洋民族日本人の食文化に関わる暗黙の知恵が、ぎっしりと集積されており、それを担うのが仲卸業者だというのがこの本の主張だ。

アースダイバー 東京の聖地

アースダイバー 東京の聖地


この考え方を強化したのは、映画『築地ワンダーランド』。(Amazonプライムビデオのコンテンツに入っており、プライム会員であれば2018年11月現在では無料で見られる)
この映画はドキュメンタリーで、築地に関わる人へのインタビューで構成されているが、対象のほとんどが仲卸業者。
やはり築地の文化・歴史というのは仲卸が背負っているというわけだ。映画の中では、仲卸の人が実際に卸している店に顔を出し、自分が卸した魚がどのような料理として提供しているのかを客として確かめる。そのことで、自分がその店に卸すべき魚を考え、また、自信を持って薦められるようになる、その気持ちの部分までが伝わってくるようだった。


そして、また話が飛ぶが、杉田水脈新潮45騒動。
このときの小田嶋隆さんのコラムを読んで、仲卸業者とのアナロジーもあって、これまで何となくのイメージで捉えていた編集という仕事への、自分の理解レベルが上がったと感じた。小田嶋さんは、編集という仕事の意味を「魔法」という言葉を使って次のように表現する。

なんというのか、われら出版業界の人間が20世紀の雑誌の世界でかかわっていた「文章」は、単なる個人的なコンテンツではなくて、もう少し集団的な要素を含んでいたということだ。

で、そのそもそもが個人的な生産物である文章をブラッシュアップして行くための集団的な作法がすなわち「編集」と呼ばれているものだったのではなかろうかと私は考えている次第なのである。

してみると「編集」は、一種の無形文化財ということになると思うのだが、その「編集」という不定形な資産は、この先、文章というコンテンツが単に個人としての書き手の制作と販売に委ねられるようになった瞬間に、ものの見事に忘れ去られるようになることだろう。

書き手がいて、編集者がいて、校閲者がいて、そうやってできあがった文字要素にデザイナーやイラストレーターがかかわって、その都度ゲラを戻したり見直したりして完成にこぎつけていたページは、ブロガーがブログにあげているテキストとは別のものだ。

ここのところの呼吸は、雑誌制作にかかわった人間でなければ、なかなか理解できない。
で、その違いにこそ「編集」という雑誌の魔法がはたらいていたはずなのだ。
「編集」が消えていく世界に(日経ビジネス・小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明)


しかし、タイトルにあるように、その編集は今「消えていく」。

無駄を省き、コストを節減し、選択と集中を徹底しないと、雑誌は立ち行かなくなっている。
そして、無駄を省き、コストを大量殺戮し、選択と集中を徹底した結果、雑誌からは行間が失われている。


こういった中で、実際に編集の人たちの仕事について、まさに『築地ワンダーランド』の中での仲卸業者の方々を見る視点で知りたいと思っていたのだった。


ということで、そろそろ『書店ガール』の感想に入る。
男性である伸光が主役だということは驚いたが、それ以外に「あれ?」と思ったことが2つあった。
5巻を読んで、最初に「?」と思ったのは、ラノベに対する、若干のマイナス面も含めた描写。自分があまりラノベを読まないように、碧野さんもそれほど読まないだろうという勝手な想像から、(当然取材をしているとは言っても)詳しくない分野を批判的に取り上げるのは怖いなあ…と思ってしまった。
例えば、今回の主人公・取手のエキナカ書店の店長となった25歳の宮崎彩加が、バイトの面接に来た、ずっと下を向いているフリーター男性に対する印象が書かれる。

「どんな本が好きなんですか?」
「漫画とかライトノベルとか……」
やっぱりね、と彩加は思う。読書よりゲームの方が好き、というタイプだ。それほど本も読んでないんじゃないだろうか。
(略)
正直この子はあまり気が進まない。中退したとはいえ、いい大学にいたのだから頭は悪くないだろう。だけど、接客には向いてるとは思えないし、そもそもあまりいっしょに仕事したいタイプではない。
p33


実際には、このフリーターが実際にアルバイトとして採用され、5、6巻で第三のメインキャラクターとなる超重要人物となるので、ここで否定的に描かれるのも納得なのだが、宮崎彩加の「ラノベ読み」に対する印象はあまりよくない。そもそも最初は彩加の書店ではこの段階ではラノベを置いていない。
碧野さんは、ラノベをどのように捉えているのだろうか?とまず思った。


しかし、よく考えると、この5、6巻の主戦場は、まさにそのラノベなのだ。5、6巻の主人公・小幡伸光が新しいライトノベルのレーベル「疾風文庫」の編集長として働いているのだから。
そして、読み進めると、その内容があまりにリアリティに満ちていて…というより詳し過ぎることに驚く。

  • こだわりが強過ぎるが有能な契約社員と、能力的には劣るがおおらかな正社員を(契約社員の待遇改善以外の方法で)どう扱うか、という問題
  • 他社のやり手編集者に対して独りごちる「俺たちは敵ではない。いつだって、作家に対しては共犯者だ。」という伸光の含蓄深過ぎる言葉(5巻p110)
  • 漫画と小説の編集過程の違い(漫画の方が作業過程が見えるので、途中段階でチェックする機会が多い)(5巻p149)
  • 実際の編集会議の内容とその反映のさせ方(5巻p151)
  • コミックノベライズにおけるコミック側編集者と小説側編集者のやり取り(物語の中では、最初、漫画家と小説家が顔を合わせず担当編集同士でノベライズの中身を議論して険悪なムードになる)6巻
  • アニメ化における編集者とアニメ制作側とのやり取り(ノベライズと同様だが、オリジナル要素の入れ方や、原作では未だ出てこない設定をアニメで先に出すことの是非など)6巻
  • 起きてはいけないミス(編集者が原稿に手を入れる不祥事5巻p143*2ラノベのイラスト指定の入れ替わり6巻p195


また、心情的な視点から「ここまでは書けない」と思った部分は、少しでも本を多く売りたいと、ラノベファンの間でも影響力のある書店員にゲラを読んで貰おうとして伸光らが叱られる場面。

「あのね、木下さんもいるんでこの際言っときますけど、最近版元の人たち、安易に書店員を頼りすぎていませんか?(略)こっちも忙しいですから」5巻p224

こういった書店員側のネガティブな感情は、書店側の取材で得たとしても、編集側の取材で得たとしても、部外者であれば使いにくい題材だろう。


と、挙げていけば枚挙にいとまがない。
前回書いたように、『書店ガール』は、碧野さんが実際の書店をたくさん取材しているから書けた部分がたくさんあることは理解していた。が、ここまで編集の仕事内容に踏み込んだ内容は取材だけでは書けないのではないか?と、不思議に思っていたその謎の答えは、5巻の大森望さんの解説にバッチリ書いてあった。

それもそのはず、著者の碧野圭は、2006年に『辞めない理由』で作家デビューするまで、ライトノベル雑誌の編集者として、十年余のキャリアを持つ。


なるほど!
ここでも参照先として挙げられている「WEB本の雑誌」のインタビュー記事がものすごく読ませる内容で、幼少期からの読書遍歴も面白いが、鈴木敏夫編集長のもとで『アニメージュ』でライターをしていた話や、ラノベという言葉がない時代のドラゴンマガジン富士見書房)編集部での10年間、そしてスニーカー(角川)編集部での話など仕事の話がやはり興味深い。

乙一さんの『GOTH』や谷川流さんの『涼宮ハルヒの憂鬱』の仕掛けを編集部みんなで考えたり、綾辻行人さんの作家本を作ったり。スニーカーに在籍したのは4年間と短かったけれど、面白いことがたくさんありましたね。

というように、自分が大好きな本も碧野さん経由で世に出たものだったのだと考えると凄い。
なお、大森望さんの解説によれば、一人の作家に対して二つの編集部が話し合いを持つ5巻の一場面は、『涼宮ハルヒ』のときに実際にあった話だというが、『書店ガール』に出てくる疾風ノベル大賞のような旧来型の公募新人賞は、だんだんとその労力と売れ行きが引き合わなくなりつつあるという。

ネットでめぼしい作品を見つけて賞を出し、本にする方がはるかに簡単だし、ビジネスとしてもリスクが少ない。次が書けるかどうかも定かでない新人の、海のものとも山のものともつかない作品を手間暇かけて送り出すなどという非合理なシステムは、前盛期の遺物として滅びゆく運命かもしれない。

実際、特に似た作品があるかどうか、いわゆる「パクリ」の問題は、ネットの集合知のチェックを経ている方が安心だ。実際、科学論文にもパクリや改竄がある時代だから、心理的なハードルは低く、誰もが「ついやってしまう」レベルであることを考えると、それを編集部だけで行うのには無理がある。(実際に、今年夏の芥川賞候補作『美しい顔』で盗用疑惑が問題になっている)
やはり、今が過渡期なのだろうか。だからこそ、現在、編集の仕事をしている方々を応援したくなる。


さて、また本の話に戻ると、5〜6巻では、第一回の疾風ノベル大賞を受賞した田中がとてもいい味を出すキャラクターとなっている。
まず、自分の息子が熱心に取り組むことに無理解な親が最後に理解を示すという展開はベタ(先日見た映画『ボヘミアンラプソディ―』も同様の展開)ながら、胸が熱くなる。それだけでなく、序盤から伏線が張ってあるペンネームの話が良い。小説家を目指していた父親の使っていた原滉(はらあきら)に「一」を足して「原滉一(はらこういち)」として作った作品が評価されたことで、弟いわく「お父さんの夢もかなえた」のだ。
6巻で一気にアニメ化の話が出ても、書店のアルバイトをギリギリまで続ける田中は、人間的魅力が増して、成長が楽しみなキャラクターになった。なお、伸光目線では、「原」と作家名で書かれ、彩加目線では「田中」と本名で書かれるのも面白い。


そして何と言っても主人公である宮崎彩加。
新天地の取手で「吉祥寺と違うやり方。地元に愛される店。」を考えて、実際にそれをアルバイト店員たち(田中含む)と実現していく5巻から一転して、閉店を申し渡される6巻。閉店騒動は1巻でもあったが、店を潰さないための努力をギリギリまで続ける1巻とは異なり、どのように店を畳むかという過程が丁寧に描かれる。
そんな彩加も4巻から話のあった沼津の伯母の書店を継ぐことになり、好意を寄せていたパン屋の大田ともグッと距離が近づいたのは素直に嬉しい。
同じく恋愛という意味では、恋愛要素ゼロだった田中が思いを寄せる相手については、やや伏せられたような形になっているが、7巻にも話は続くのだろうか。


ということで、最終巻の7巻は、誰が主役となるのか、だけでなく、田中などサブキャラクターたちのその後も含めて、楽しみが多い。何より、リアル書店は、そして編集の仕事はこれからどうなっていくのか、そういう部分にも期待して読んで行こうと思う。
でも、最終巻なのか…。短い間に一気に駆け抜ける読書となったが、読んでいて本当に楽しいシリーズです。

*1:国立競技場は明治神宮外苑にある。

*2:小説の中では、編集者側の問題というより、編集者と作家のコミュニケーション問題という扱いとされているが、大森望さんの解説によればよくある話で、2015年末にも似た話があったとのこと。おそらくこちら⇒KADOKAWAが小説発売中止 編集者が原稿を無断改変

物語の「実在感」はどこから生まれるか〜『咲-Saki-』

映画「咲-Saki-」 (通常版)[Blu-ray]

映画「咲-Saki-」 (通常版)[Blu-ray]

最初にこの映画を観た理由を。
Amazonプライムビデオでアニメを見るというのが、最近の会社帰りの通勤電車の楽しみ方。
アニメ作品を選ぶのは、その短さが理由で、30分以内で終わる作品という視線で探した場合、海外ドラマは対象外となるし、日本のドラマはあまりAmazonプライムビデオには並んでいない。
そんな中で、かなりB級っぽさを感じるものの、浜辺美波の美しさが自分の心を引き留めてやまないこの作品のドラマ版を観ることにした。
見始めてから分かったのだが、『咲』は、連続ドラマ版5話+映画100分で完結する作品で、結局、最初は想定していなかった映画を観ることとなった。


で、感想だが、観て良かった。映画や小説について色々考える機会になった。
先日、『書店ガール』が面白い理由(『君の膵臓を食べたい』が面白くなかった理由)として、登場人物の「実在感」を挙げたが、『咲-Saki-』を見ると、映画で考えた場合、「実在感」というのは設定のリアリティではなくて、舞台設定と、登場人物の役者の演技のバランスで決まってくるのだとわかる。
というのは、まず、この作品の世界設定が突飛で、それ自体にリアリティはないから。

21世紀。これは、≪世界の麻雀人口が1億人を突破し、麻雀の実力が人生を左右する世界≫で、どこにでもいる普通の女子高生・宮永咲浜辺美波)の物語-。 ある日の放課後。咲は同級生の美少女・原村和(浅川梨奈)と運命的な出会いをする。 和の後を追うと、旧校舎にひっそりと存在している麻雀部の部室に辿り着く。 そこには和の他に、なぜか大好きなタコスを手放さない片岡優希(廣田あいか)と広島弁を話すメガネ娘の染谷まこ(山田杏奈)がおり、咲は断ることが出来ずに麻雀を打つことに…。


さらには、彼女たちの通う清澄高校、そしてライバル校の生徒たちの制服が、これもまた実在しそうになく、「コスプレ感」に溢れている。
言うなれば、絵だけ見ると「コント」的な、チープな感じがしてしまう。


一方で、主要登場人物を見ると、演技の下手ウマを言うのはあまり好きではないけれど、その中では、浜辺美波が圧倒的に上手い。ただ、この作品で言うと、一番、「普通」のキャラクターが主人公の咲なので、他の突飛なキャラクターを任された女優たちが可愛そうなのだが…。
その中で一番の功労者は片岡優希(廣田あいか*1だと思う。高音のアニメ声が特徴で、口癖が「〜だじょ!」。アニメ『シュタインズゲート』で初めてダルの声を聴いたときくらいの激しい違和感・「非実在感」を覚えた。
しかし、彼女くらい突き抜けた人がメインのキャラクターの中にいると、それ以外に、どんなにマンガ的、アニメ的なキャラクターがいても気にならなくなる。さらに、チープな感じを増幅するような演技が下手な人がいても、やはり同様に、この作品の中では受け入れられる。この作品世界の中では「ここまではOK」というリアリティラインは、優希が決めていると言っても過言ではないと思う。


そういう意味では、この作品のリアリティラインを踏み越えてしまいそうな、観ている側が、踏み絵を試されるようなキャラクターが、ライバル校の大将である天江衣(菊地麻衣)。金髪でアリスのようなコスプレで見た目は小学生(実際、菊地麻衣は小学生)。そして難しい漢語を多数含む長いセリフも多数ありながら、やや棒読み。
演じる菊地麻衣は、『貞子vs伽椰子』で、やはり強烈な印象を残す霊媒師の助手・珠緒役を演じており、ここでもそのミステリアスな存在感は健在。
…というか、2作品とも、役自体が強烈過ぎるのだが、自分としてはサダカヤに比べて、彼女の演技を受け入れやすかったのは、やはり優希(廣田あいか)がいたからだと思う。


ただ、そういった強烈過ぎる個性の人たちばかりだと作品自体がまとまらない。
実際、浜辺美波の演技がいくら上手くても、浮いてしまう。
そこで重要になるのが、浜辺美波の親友役となる原村和(浅川梨奈)*2で、彼女もまた、作品内で「おっぱいさん」と呼ばれるような色物キャラクターで、髪型もアニメ的でありながら、演技が上手い。(そして可愛い)
浜辺美波&浅川梨奈が中心に配置されて、片岡優希(廣田あいか)のような強烈なキャラクターがいることで、非現実的な世界観と「非実在」の超個性的なキャラクターが、この作品世界の中にいるという「実在感」を得ることができる。
つまり、物語世界の中で読者や観る側が感じる「実在感」というのは、登場人物だけによるものではなく、舞台設定とのバランスの中で生まれてくる。その部分で作家や監督の力量が問われてくる。


という理屈をいろいろ書きましたが、結論としては、浜辺美波は可愛いということです。特に左目の困り眉。

*1:私立恵比寿中学のメンバー。

*2:浅川梨奈の名前は雑誌の表紙などで見る機会があったが、あさかわ「りな」だと思っていた。まさか、これで「なな」と読むとは…。

「そっちなのか…」というラスト〜薬丸岳『闇の底』

闇の底 (講談社文庫)

闇の底 (講談社文庫)

こういう言い方は好きではないが、この作品の終わらせ方には驚いた。
そっちか!
そっちなのか!…と。


『書店ガール』を1巻から4巻まで一気に読んでしまい、一旦休憩のつもりで読み始めたこの『闇の底』。(普通は、本の種類で言えば逆の選択をするのだが…笑)
薬丸岳は、最近映画にもなった『友罪』や、タイトルが印象に残る『Aではない君と』など、犯罪を犯罪被害者もしくは加害者の当事者の立場から描くスタイルが得意な作家だと認識していたが、それは本作でも同じだ。
『闇の底』で対象とするのは、性犯罪。

子どもへの性犯罪が起きるたびに、かつて同様の罪を犯した前歴者が殺される。卑劣な犯行を、殺人で抑止しようとする処刑人・サンソン。犯人を追う埼玉県警の刑事・長瀬。そして、過去のある事件が2人を結びつけ、前代未聞の劇場型犯罪は新たなる局面を迎える。『天使のナイフ』著者が描く、欲望の闇の果て。(文庫裏表紙)


あらすじを読む限り、一気読みしてしまうような本に思えるが、序盤は少し入りづらい。
というのも、候補が数人いて、誰が主役なのか分からないからだ。以下の3人が出てくるが、読者は、誰に感情移入して読めばいいのか戸惑ってしまう。

  • 「序章」から登場する男。幼稚園児の娘・紗耶を誰より大切に思っており、彼女を守るためという理屈で、序章では内藤という性犯罪者を刺し殺し、のちにサンソンという名で犯行声明文を送る。
  • 小学生の牧本加奈殺人事件を担当する埼玉県警の長瀬一樹。自らも小学生の頃に妹を同様の事件で亡くしている。
  • 公園で見つかった生首事件を捜査する埼玉県警のベテラン刑事・村上康平。娘の日奈子が可愛くて仕方がない。

序章から第一章は、以下のように順繰りに視点が入れ替わりながら別々の場所での3つの話が同時並行的に進む。

  • 序章:サンソン
  • 1:長瀬
  • 2:村上
  • 3:サンソン
  • 4:長瀬
  • 5:村上
  • 6:サンソン
  • 7:長瀬
  • 8:村上(サンソンの名が記された犯行声明文が届く)
  • 9:サンソン

2章になると、村上と長瀬は組んで捜査をすることになるため、物語は整理され、混乱せずに読み進めることが出来るが、この構成は本当に巧いと思う。
読者として興味を惹かれるのは、殺人を犯したサンソンと、自らが犯罪被害者で、同種の事件の捜査を行う長瀬。2人がどちらも性犯罪を憎む立場ながら、片方は犯罪を犯し、片方はそれを捕える裏表の関係にある。だからこそ、長瀬と同じ警察側の人間である村上の存在意義が分かりにくい。
しかし、作者の意図はまさにそこにあるのだと思う。
長瀬の立場を、その辛さを知ってほしい。しかし、読者が長瀬に感情移入し過ぎるのは問題なのだ。
死刑執行人・サンソンが世間的な支持を集める中で捜査を続ける第2章以降も3人の視点の移動は変わらない。しかし、村上と長瀬が組むことで、長瀬は村上にとって観察対象となる。こうなることで、読者にとっても長瀬は観察対象となり、精神状態は大丈夫なのか、突飛な行動をとってしまうのではないか、と心配の目を向けることになる。
ややネタバレしてしまうが、この小説の終わらせ方は、長瀬を感情移入の対象にするのではなく、観察の対象にする方が都合が良い。



(以下は完全にネタバレ)



この小説の巧さは、読者の感情移入先を上手く操作する叙述にある。
まず、この小説の一番のトリックであるサンソンの正体。
小説を読み進めると、サンソンの言動の多くが、長瀬の父親に当てはまることがわかる。そして、実際正体が伏せられたまま最終盤に至り、もはや、この小説の中で、理由を持って性犯罪者たちを裁く行動に至る者は、長瀬の父親以外には残っていない。
このミスディレクションは、長瀬がサンソンへの共感を隠さないことで、読者も殺人犯の心の中の「一理」にも理解を示してしまうことで生じてくる。
殺人は許されることではないが、それでも罰されるべき人間が何の反省もせず、同様の犯罪を繰り返してしまうのなら、「理由のある人間」による私刑も仕方ないのではないか…。


しかし、傾きかけたその気持ちを根っこから折るのが、サンソンの正体である。
こいつは、自らが性犯罪者で、その自分勝手な欲望のために、「愛する娘のために」という、もっともらしい理屈をつけて殺人に手を染めているだけじゃないか。
やはり、どんな理由であれ、私刑を許すわけにはいかない!
…と、読者にそう思わせたところで、作者はさらにひっくり返すのだ。
読む側は左フックで顎を引っかけられたあと、強烈な右フックを食らってしまう。


左フックだけであれば、そこにあるものは「闇」だが、この右フックがあるからこその「闇の底」
ブラッド・ピット主演の「あの映画」を思い起こさせるような救いのないラスト。
このラストにすることで、作者の揺るぎないメッセージが伝わってくる。読後感として「面白かった」で終わらせてたまるか、読者の心に傷跡をつけてでも伝えたいことがあるという強い決意を感じる。
犯罪被害者の怒りと悲しみに焦点を当てて伝えようとする、この薬丸岳の問題意識が、他の作品でどのように表現されているのか、是非とも読んでみたい。

働くすべての人に薦めたい〜碧野圭『書店ガール』(1)〜(4)

書店ガール (PHP文芸文庫)

書店ガール (PHP文芸文庫)

書店ガール 2 最強のふたり (PHP文芸文庫)

書店ガール 2 最強のふたり (PHP文芸文庫)

書店ガール 3 (PHP文芸文庫)

書店ガール 3 (PHP文芸文庫)

書店ガール 4 (PHP文芸文庫)

書店ガール 4 (PHP文芸文庫)

この本を読もうと思ったのは、行ってみたいと思っていた11/24に行われる国分寺ブックフェスティバル*1で作者のトークショー(対談)が開催されることを知ったため。
逆に言えば、それまでほとんど本についての知識が無かった。


「職業・学問」+「ガール」という名称の本は、『数学ガール』だけしか読んだことはなかったが、最近でいうと『論理ガール』、また、テレビドラマにもなった『水族館ガール』など、いくつかの作品が出ていることを知っていた。また、『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズなど、本に関わる物語で、職業ものではなくミステリなどのエンタメよりのものがあることも知っていた。
共通するのは、主人公が高校生〜20代半ばまでの女性で、ラノベ的カバーイラスト、そして何より著者が男性。
ここからは偏見になるが、専門知識を持った男性著者が、皆から好かれるタイプの理想的な少女像を創作して、彼女経由でその知識を披露する。そのような内容が、こういったタイプの本なのかと思っていた。


しかし、『書店ガール』は予想を大きく裏切る内容で、本当に驚いた。
まず、メイン主人公の西岡理子は40歳独身の副店長。冒頭シーンは、失恋直後に、嫌いな部下(女性)の結婚式2次会に参加してトラブルを起こす内容。『書店ガール』というタイトルの本の主人公だから「私は2年目書店員。仕事にも恋愛にも全力投球!」だろうという推測はことごとく外れる。
そして、第二の主人公の小幡亜紀27歳は、まさにその結婚式の新婦で、主人公の西岡理子とは犬猿の仲。それどころか、コネ入社で、結婚式2次会には書店の全員に招待状を出したのに、管理職クラスしか参加してもらえないなど、それほど皆から好かれるタイプではない。さらには、新婚旅行から夫とのすれ違いが目立つ…。


これのどこが「書店ガール」なのか…*2


まず、この時点で、著者が男性ではあり得ないだろうという思いから碧野圭さんが女性であることを確認した。
2人のメインキャラクターの確執を書くには、しかも結婚観も絡めて書くには男性には荷が重すぎる。
しかし、書店員の奮闘を描く本編とは無関係のプライベートの部分を、リアリティを持って読ませる、という点が、この『書店ガール』の最大の強みであるように思う。
ひとつ前に書いた本の感想で『仮面病棟』と『君の膵臓を食べたい』が面白く読めなかった理由として、主人公に共感できなかったことを挙げたが、今思えば、それが理由ではない。自分は、『書店ガール』の2人の主人公のどちらにも、最初100頁を過ぎるあたりまでは共感できなかったし、応援できなかった。つまり、あの2作に入り込めなかった理由は、「共感」ではなく「実在感」であるように思う。登場人物の感情変化や発言・行動が実在するように思えるかどうかという観点で、『仮面病棟』『君の膵臓を食べたい』の2作に、自分は直感的にNGを出したのだった。そんな人間は、そんな考え方や言動をする人間は「実在しない」と。*3
『書店ガール』を読み進めると、西岡理子や小幡亜紀のように発言・行動し、皆から好かれたり嫌われたりする女性は確かに周囲にいると感じる。それどころか、むしろ、自分の周りにいる女性たちが、こんな風に考えながら生きているのかもしれない、と思わせる。そして、主人公たちの人生と同じ世界に自分も暮らし、同じような悩みを抱えている。それが、この小説の「実在感」だと思う。
また、さまざまな人の立場が描かれることで、自分に引き寄せるだけでなく、知り合いの誰かに引き寄せて、人の暮らしを、仕事を考えることができる。女性と男性だけではない。この小説の中では、産休明け社員とそれ以外、正社員と契約社員、地方と東京、大手チェーンと小規模書店など、様々な対立軸が存在する。同じ書店員でも、立場の違いで、様々な考え方の違いやわだかまりがある。
さらに、本が売れなくなる中で、書店が何をするべきか、という共通したテーマを持ちながら、書店を街を盛り上げようと登場人物たちが奮闘する。
どんな人生にも、小説のようなドラマがある。人が死ななくても、殺人事件が起きなくても、日々、そのようなドラマの中で自分たちが生きている。そんな自分や、誰かの人生を肯定したくなる、そんな魅力が詰まっている小説だと思う。


以下、好きなエピソードと巻ごとのポイントを各巻の解説と合わせて書き出していく。

1巻

ペガサス書房吉祥寺店の店長を命じられた理子だが、吉祥寺店はビルの改装工事と合わせて半年後には閉店となる。吉祥寺店存続のために、亜紀が企画した知り合いの漫画家のフェアや吉祥寺を舞台にした作品フェア、サポーター会議など、書店員たちが一体となって奮闘するのがこの1巻。
理子が、大学受験時に進路に悩んだときに、近所の本屋で薦められた『キッチン』に救われたエピソードが良かった。

なにより、ここが自分の仕事の原点だ。この店があったから、自分は書店員になろうと思ったのだ。『キッチン』という本に出会ったことで、自分の気持ちが救われた。自分もおじさんみたいに必要な人に必要とされる本を手渡す、そんな仕事がしたいと思ったのだ。p254

解説の北上次郎も、同様に、「リアル書店」の良さについて理子が述懐した部分を引用している。

そうだ、亜紀の言うとおりだ。電子書籍は本ではない。データだ。本とは別のものだ。本屋はお客様や営業の人や書店員、いろいろな人間がいて、直接会って話したり、ときにはぶつかりあって何かが生まれる。本という物を媒介に人と人とが繋がっていく。それが書店だ。私が好きな書店というものだ。

理子や亜紀の奮闘むなしく、ペガサス書店吉祥寺店は閉店してしまうけれど、ラストでは、理子には別の書店の店長にヘッドハンティングされる話が出てくる。

2巻

旧態依然としたペガサス書房から離れ、理子、そして、亜紀らが働くのは、福岡から進出してきた新興堂書店。
この巻の見どころについては、高倉美恵さん(元書店員・ライター)の解説がわかりやすい。

(亜紀と伸光が旅行先の盛岡で立ち寄った一箱古本市、福岡の書店が集まって企画しているブックオカ等)この『書店ガール2』は、現在の書店と、本をめぐる人々の現場のあらゆる事が、ぎゅうううっと詰まった一冊になっているのです。

それを可能にしているのが、碧野さんの現場取材だという。実際細かいエピソードや、フェアなどの企画の案出しも含めて、実際の「現場」感が伝わる描写が多い。碧野さんのブログ「めざせ!書店訪問100店舗」には、そんな現場取材の粋が詰まっている。


そしてもう一つは登場人物の「成長」。理子はこういうキャラ、亜紀はこういうキャラ、という図式的な固定要素はなく、登場人物たちが成長していく様子が上手に描かれていると思う。成長度合いも絶妙で、ご都合主義ではなく、そこがまた良い。ここも解説の高倉さんが指摘するところ。

理子は、同じ商業施設の店長仲間とも良い関係を築いていて、小売り全般について、いろいろ語り合います。前作の最初の頃の、亜紀に偏見を持って辛く当たっていた頭の固い理子から比べたら、なんと成長したことでしょう。

(旅先の一箱古本市で、最初に手掛けた)コミックを売っていた少年との会話によって、編集者として見失っていた大事な何かを取り戻すのでした。今回一番成長したのは、この伸光さんかもしれません。同僚に足をすくわれて、閑職にやられて腐っている伸光が、もう一度前を向いて歩きだします。

なお、この巻では、理子の恋愛(未遂?相手は福岡から単身赴任で来ている副店長の田代)や、亜紀の妊娠をめぐるアレコレもあって、そちらも見どころ。なお、吉祥寺の複数書店が合同で手掛けたフェア「50年後にも残したい本」の選書はなかなか魅力的で、ブックガイドとしても使いたい。
副題の「最強のふたり」も最高。

3巻

3巻では、理子は、エリア・マネージャーに昇格し、新たに傘下に加わった仙台の櫂文堂書店の面倒も見ており、その延長で震災から2年半経った被災地の現状が詳しく語られる。
自分は、この巻の中では、被災地のために「東京」の書店が何を出来るかを真剣に考える理子をとても応援したい気持ちになった。そして、その思いは新興堂書店吉祥寺店の3月の震災フェアに結実する。ここでの選書もブックガイドとして使いたい。
解説の島田潤一郎さん(夏葉社代表)は文章も上手く、『書店ガール』の良さをコンパクトに解説している。

働いている人間がだれしもぶつかるような理不尽なトラブルや、うまくいかない人間関係、納得できない言葉や、業務命令、それだけでなく、主人公たちをとりまく家庭環境をも丁寧に描写しながら、働く女性たちの成長を魅力的に描く。
(略)
仕事は喜びややりがいだけではない。それよりも、失望や、苛立ち、迷いのほうが多い。けれど、そうしたマイナスな状況からこそ、希望が生まれる。

なお、この巻では、亜紀は、仕事と育児の両立に四苦八苦し、好きな文芸を離れ経済書担当としても苦戦している。「昔の亜紀」を思い起こさせるような新人バイト・愛菜が少しずつ出番を増やす。


4巻

4巻の解説は、渡辺麻友・稲森いづみ主演のテレビドラマ「戦う!書店ガール」プロデューサーの山下有為さん。山下さんが書く通り、主役が交代する。

『書店ガール4』では、理子と亜紀は伝説とも呼べるような存在へとステップアップし、彼女らの書店員としてのDNAを受け継ぐ愛菜と彩加が、書店で働くということを通して、やはりリアルな悩みに直面している。

この巻の主人公は、今から就職活動を始める大学3年生の高梨愛菜。そして、契約社員として新興堂書店とは別の書店で働く24歳の宮崎彩加。これこそ看板に偽りなしの「書店ガール」がついに登場、という感じだ。
愛菜は、就職活動をどうするかで悩む。一方の彩加は、正社員となるのに合わせて命じられた取手のエキナカの新店舗の店長を引き受けるか、沼津の伯母の書店を手伝うか、で悩む。副題の「パンと就活」の「パン」は沼津で伯母の書店の改装に力を貸すパン屋を指すが、地方の商店街の在り方も4巻のテーマとなっている。
愛菜が妙齢の女性から依頼されたタイトルのわからない本探しのエピソードが好きで、足に怪我をした少女の成長物語いうヒントを頼りに見つけ出した『少女ポリアンナ』が誤りで、そこから『すてきなケティ』に辿りつき、喜んでもらう。こんなエピソードは、本の売り上げには全く貢献しないながらも、書店員の喜びのひとつなんだろうなと思う。
恒例のフェアは、愛菜がバイトを辞め、就活に集中するタイミングで持ちかけた『就活を考える』。これもやっぱりブックガイドとして使いたいなと思うのだった。 

まとめ

何かとAmazon電子書籍を利用することの多い自分ですが、とにかく、書店を応援したい、もっと書店を利用したいと思わせるシリーズでした。
そして、書店が仕掛けているフェアには、出来るだけ注目していきたい、と強く強く思いました。
それだけではなく、自分の働き方は彼女たちと比べて胸を張れるか、など、仕事観についても考えさせられるシリーズです。今年出た7巻で完結したばかりのシリーズですが、残りの5〜7巻が気になります。特にビブリオバトルが取り上げられているという最終巻の7巻は早く読まなくては。

*1:案内はこちら

*2:文庫化される前の元タイトルは『ブックストア・ウォーズ』とのことで、1巻だけ見たら、圧倒的に『ブックストア・ウォーズ』が正しい。

*3:作品の世界観と合っている登場人物であれば、非人間的な能力を持っていたとしても「実在感」はあると考えます。ギャグ漫画におけるマンガ的表現も同じです。自分と同じ世界に存在している、というより、確かにその作品世界に実在している感じがあるかどうかが鍵なのだと思います。

『君の膵臓を食べたい』『仮面病棟』の2冊がイマイチだったのは何故なのか

たまたま読んだベストセラー2冊が、読みやすいし、面白さは分かるにもかかわらず、熱中出来なかった理由を考えてみました。

知念実希人『仮面病棟』

『仮面病棟』は、少し前に観た映画『クリーピー 偽りの隣人』以上に、調布市民の自分にとってゆかりのある作品だった。
舞台はお隣の狛江市で、冒頭で事件が起きたのは調布市のコンビニ。そもそも作者が慈恵医大(調布と狛江の境付近にもキャンパスがある)出身の現役の医師。
これらの情報は、読み始めるまで知らなかったが、その舞台が馴染みのある場所かどうかは、物語を追う上では自分にとっては気になる情報だ。ワクワクしながら読み進めた。
あらすじは以下の通り。

怒濤のどんでん返し、一気読み注意!!
強盗犯により密室と化す病院。息詰まる心理戦の幕が開く!

療養型病院にピエロの仮面をかぶった強盗犯が籠城し、自らが撃った女の治療を要求した。
先輩医師の代わりに当直バイトを務める外科医・速水秀悟は、事件に巻き込まれる。
秀悟は女を治療し、脱出を試みるうち、病院に隠された秘密を知る――。
そして「彼女だけは救いたい……」と心に誓う。
閉ざされた病院でくり広げられる究極の心理戦。迎える衝撃の結末とは。

作家・評論家の法月綸太郎が「閉鎖状況の謎に挑戦してほしい」「クリアでエッジの立った解決と苦い読後感」と語る注目作。
現役医師が描く<本格ミステリー×医療サスペンス>。
人気急上昇の新鋭ミステリー作家、初の文庫書き下ろし!!
Amazonあらすじ)

あらすじに並ぶ「どんでん返し」「衝撃の結末」の言葉が胡散臭く見えるが、それを差し引いても面白そう!
ところが、実際に読んでみると、内容については不満がある。


解説で法月綸太郎が「クローズドサークル」ものとして評価しているが、確かにその通り。ただ、本格ミステリ作家が「本格」ミステリを評価するポイントは、「フェアかどうか」に重きが置かれ、単にエンタメとして本を読みたい読者とは視点が異なるように思う。エンタメ好きとしては、たとえ少しアンフェアであっても、物語に熱中出来て、最後に素敵に驚かせてくれればそれでいい。その点で『仮面病棟』は上手く行っていないのではないか、と思ってしまった。
以下ネタバレありのもう少し詳しい感想。


(最初から核の部分のネタバレをしてしまうが) 自分が一番「これはどうか…」と思うのは、ヒロイン役となって、主人公の医師・速水とほとんどの行動を共にする女性・愛美の序盤のセリフ。
撃たれた傷口を縫合してくれた恩人だといえ、出会ってすぐに、しかもこの異常事態の下で、十以上も歳の離れた医師・速水に対して…

「それじゃあ、お言葉に甘えて秀悟さんって呼ばせてもらいますね。私のことは愛美って呼んでください」

…。
こんなこと言わない。
この時点で読者として彼女に共感を持てないし、ずっと「怪しい」という視点で見てしまう。実際、こんな風に言うのは、隣の家に住む奥さんに突然「康子さんって呼んでいいですか?」と言い出す『クリーピー』の香川照之くらいしかいない。
もし彼女が、香川照之ほどの変人には見えない美女だったとしても、たぶらかされている可能性を疑うべきだろう。素直に受け入れる主人公・速水はどこまでお人好しなのか。
この台詞が、「彼女は怪しいですよ」という、作者の親切心からの読者に向けたサインだったという可能性は無くはないが、そうだとしたらミステリに重要な資質が欠けているように思う。
手品を披露するときに、最初からタネそのものに目が行くように振る舞うだろうか。タネから遠い場所へ自然に目が行くように振る舞うのが上手な手品師だろう。
この一言があるだけで、彼女に共感できないのは勿論、彼女のことを怪しいと思わない主人公とも共感できなくなる。そして何よりネタバレしてしまう。
ものすごい破壊力を持った一言だと思う。


犯人の動機に社会問題的な要素も入っていて自分が好きなタイプのミステリだし、本自体はとても読みやすく、中だるみがない。ただ、中だるみもないが、名場面も無いように感じる。
それは、最初から最後まで主人公とヒロインに共感し切れないからだ。
新本格ミステリは人間が描けていない」というのは新本格ブームのときによく言われたことだが、自分の感じたことは結局そういうことかもしれない。

住野よる『君の膵臓を食べたい』

ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。
それは、クラスメイトである山内桜良が密かに綴っていた日記帳だった。
そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて――。
読後、きっとこのタイトルに涙する。(Amazonあらすじ)


対して、住野よる『君の膵臓を食べたい』。
この大ベストセラーを読みたいと思ったのは、やっぱりタイトルの意味を知りたいから。それに尽きる。
とにかく上手いタイトル、というだけでなく、ペンネームとの組合せで効果が倍増している。正直に言えば、 住野よる『君の膵臓を食べたい』に勝てる作者名&タイトルは綿矢りさ蹴りたい背中』くらいだろうと思う。*1
以下、ネタバレアリのやや詳しい感想。


それではタイトルだけで言えば傑作だとして内容はどうだったのか。
まずタイトルの意味についてだが、作中で「君の膵臓を食べたい」という言葉について言及があったのは3度で、それぞれ次のような意図があった。

  • 冒頭で、主人公の僕に向かって、(膵臓の病気で余命短い)彼女の方から「君の膵臓を食べたい」と言われ、その意味について「昔の人は、どこか悪いところがあると、他の動物のその部分を食べたんだって」と説明を受ける。
  • 終盤に「僕」が、彼女のような理想的な人間になりたい、という意味を込めて「君の爪の垢を煎じて飲みたい」とメールを打とうとして消し、「君の膵臓を食べたい」と書いている。
  • そして「彼女」が死んでしまって出てきた遺書に載っていた「君の膵臓を食べたい」は、「僕」と同じ意図で書かれていた。(一番泣けるシーン)


冒頭でタイトルの意味が出てくるから「もっと引っ張れよ」と思っていたら、ラストで泣かせるキーワードに、ちゃんとなっていて、そこは上手い。この内容でこのタイトルというのは納得だ。
しかも、この「難病もの」というありきたりなシチュエーションの小説で、ヒロインを病気で死なせない、というのは、意表を突くアイデアで、その点には驚いた。


自分が好きになれなかった一番の理由は『仮面病棟』と同じで、主人公に共感を持てないこと。彼女の死後にこそ、自ら他人に向かってコミュニケーションを積極的に取るようになり、成長したが、それまでの彼は、クラスの人気者が目をつけるほどの存在だっただろうか。彼女が魅力的に描かれれば描かれるほど、「何でこいつに」という嫉妬の念ばかりが浮かんでしまう。


そして、読んだ人はご存知の通り、この小説にはひとつ大きな特徴があって、それは、主人公の名前が伏せられていること。
「僕」視点のこの物語では、ヒロインは、ほとんどの場面で「君」と呼ばれるが、友達から呼ばれるシーンでは「桜良」という呼称が使われる。
しかし、「僕」が他人から呼ばれる場合は、名字を呼ばれているはずなのに、その名は徹底的に伏せられる。

  • 「【仲のいいクラスメイト 】 くんは女の子に興味あるの?」p56
  • 「【仲良し 】 くんも必殺技つくれば?」p83

等々、「僕」が相手からどう思われているのかが【】で囲んで表記される、それがこの小説の中でのルールだ。「僕」からも説明がある。

  • それよりも、彼が僕を【目立たないクラスメイト】とは違うものとして呼んだように聴こえたのが、気にかかった。例えば、【許せない相手】とか。ひとまず理由は分からないけど、そういうことにしておく。p159

読者としては、なんでこんな風に名前を隠したままにして話を進めるのだろう、という当然の疑問が湧く。


そして、これまで伏せられた名前について、最後の最後、桜良の死後に彼女の母親から名前を問われる場面で、突如、「正解」が出てくる。

「そうだ、下の名前はなんていうの?」
お母さんの何気ない質問に、僕はきちんと振り返り、答えた。
「春樹です。志賀春樹、といいます」
p261

名字も名前も有名作家と同じ名前であるというヒント (p80) も与えられていたこともあり、なるほど、と思ったが、同時に「それで?」と思ってしまった。ということは、この小説の核の部分に感動できなかった…。


その核の部分についてここには詳しくは書かないが、何故最後になって主人公の名前が出てくるのかには、ちゃんとした理由があった。
自己と他人を関連付け切り分ける一番基本的な言葉である「名前」。それを主人公は、ヒロインに対しても全く使わず「君」と呼んでいた。そして自分に対する呼び名さえ、「名前」を受け取っていなかった。簡単に言えば、他者と関わることのスタート地点が「名前」だったのだ。
物語を素直に読んでいれば、最後になって「僕」が、自分の世界に引きこもらずに外に出てきたことが分かる。
しかし、そもそも、主人公に反感を持ちながら読み進めている自分としては、そこに素直に気がつかなかったし、気が付いたとしても心は動かない。
こいつ(主人公)をマイナスからゼロにするためだけに、桜良さんが亡くなるのはあまりに理不尽とすら思ってしまう。
ということで、非常に読みやすい本で、仕掛けもあるにも関わらず、全く乗り切れない作品でもあったのでした。

主人公に共感できない小説はダメなのか

さて、この2冊を好きになれなかった、熱中出来なかった理由として「主人公に共感できない」ということを挙げた。それでは、主人公に共感できない本には、すべてダメか、といえば、そういうことはない。
例えば、村田沙耶香の作品は、大概主人公が変な考え方をする人で、ついていけない部分がある。
また、桜庭一樹『私の男』みたいに、主人公に全く共感できないながらも深く心に残っている作品もある。
つまり、熱中出来ない理由として「主人公に共感できない」というのは、誰かに説明するためでなく、自分の中の整理としてもNGであると思う。
それではなぜ…(続く)

⇒解答編:働くすべての人に薦めたい〜碧野圭『書店ガール』(1)〜(4)
 …『仮面病棟』と『君の膵臓を食べたい』に決定的に欠けていたものが、『書店ガール』には満ち満ちていた、という話です。

*1:住野よるは、この後の作品のタイトルも魅力的で 『か「」く「」し「」ご「」と「』 なんかも、ややセーフかアウト(やり過ぎ)か微妙なラインではあるが上手い

バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!〜『貞子vs伽椰子』vs『富江』

立て続けに2本のホラー映画を観たのでその感想です。
バケモンにはバケモンをぶつけるのが正解らしいので…。

『貞子vs伽椰子』(2016)

何かのときに映画ファンの方から、この映画をオススメ頂いて、かつ、先日も紹介した『邦キチの映子さん』で、別映画ながら『貞子3D』が紹介されていたこともあり、Amazonビデオの見放題に入っていたこの作品をまず観てみた。


まず、元映画についてだが、自分は、『リング』の映画は松嶋菜々子主演のやつを観たはずだが、もともと原作が視覚的イメージを強く持った作品なので、両方の印象が混ざって、あまり印象に残っていない。
呪怨』については、色白の男の子が出てくる映画だろうという程度の知識で、観たことはない。
そういう意味ではフレッシュな気持ちで作品に入ることが出来た。


今回の映画は、貞子も伽椰子もルールが明確なホラーなので、そのルールの中で、どのように対決させるかが見どころなのだろう。名台詞 「バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!」も知ってはいたが、実際、二人をどのように「ぶつける」のか、ここに興味があった。というか、それだけで引っ張る映画だと思っていた。
しかし、観てみると、その見どころ以外も、色々な「予想外」に満ちていて、思いのほか楽しめた。


まず、一人目。
序盤、貞子側のドラマで登場する大学講師の森繁(甲本雅裕)。都市伝説について研究する傍ら「貞子が見てみたい」ということに腐心し、実際に呪いのビデオを見てしまった 夏美(佐津川愛美)が相談に来た際に、すぐにビデオを再生する。
原作『リング』では、それがオチになっていたわけだが、呪いを解く方法は、ビデオを他の誰かに見せること。であれば、これで夏美を救うことができたのか、と思ったら、森繁が言うことには、
「君から渡してもらったわけではない(有里から受け取った)ので、呪いは解けない」
という予想外の展開。これが無ければ、この映画の貞子パートの犠牲者は森繁ひとりで済んでいたはず…。
もしかしたら、貞子に臆さない森繁の活躍で、夏美と有里の呪いは解けるというストーリーなのか、と思ったらすぐに、霊媒師とともに森繁は呪い殺されてしまう。
探偵小説で、途中で探偵が交代するパターンは好きなので、今回、経蔵(安藤政信)登場のシーンで既に「おー!」となった。(先に予告編を見ていたらこの驚きはなかった)


二人目は夏美。
夏美は、本人の言うように、好奇心旺盛な有里のとばっちりで呪いのビデオを見てしまった可哀想な人ではある。しかし、絶望してぐったりしている残り1日の少しの時間抜け出して、呪いのビデオの映像をYoutubeにアップしてしまう。
これはかなりの大ごとで、本当なら、この「呪いのYoutube」を題材に映画が一本作れる内容なのだが、観客の隙をついて、大変な暴挙をやらかしてしまうのには驚いた。


そして三人目は珠緒。
珠緒は、 経蔵の子分の盲目の少女で、ブラックジャックに対するピノコという位置づけらしい。
確かに経蔵は有能だが不遜。しかし観客としてはそれ以上に、経蔵の力を笠に着て、相談者に居丈高にふるまう珠緒に驚く。そしてなぜか棒読み。
真っ赤な衣服と白杖という個性的な外見があるので、喋り方が特徴的でもやや印象は薄まるが、あまりにも棒読みで驚く。普段身についている子どもらしい喋りからかけ離れた台詞なのでしょうがないのかもしれないが、この上から目線の棒読みにはイラっと来た。
そしてクライマックスが近づくにつれ、ただの怖がりの少女になっていくのも驚く。当然、能力者だからそれだけ威張っているんだろうと思ったのだが…。


最後は、貞子&伽椰子。
まず、この映画を観るまで、『呪怨』関連の知識は全く知らなかった。 呪いの家に入ったら死んでしまう事、青白い顔をした男の子の名前が「俊雄」であること、彼が猫の声を出すこと、そして伽耶子の「音」も知らなかった。
ということで、自然と「貞子」推しで二人の対決を見ていたのだが、まず、「バケモンにはバケモンをぶつけるんだよ」の「ぶつける」が、物理的に「ぶつける」「衝突させる」ということだったことに唖然。
そして対決の結果は「合体」という衝撃の結末で、度肝を抜かれた。
そして、Yahoo知恵袋の「貞子VSカヤコ見た人に質問です。2人の戦いは、最後合体するけど、終始、貞子優勢だったってのはマジですか?」という見ていないのにネタバレ全開の質問に度肝を抜かれた。(結果はわかっていてもなお試合展開が気になるタイプか…笑)


で、このあとどうなるのか気になるので、何故かノベライズ版を読破している息子に聞いたら、「世界は大変なことになる」らしい。気になる…。


なお、山本美月が主演だから見ようと思ったこの映画ですが、玉城ティナの「恐怖顔」が素晴らしくて良かったです。ちょうど伊藤潤二の漫画で出てくる主人公のような感じで、途中、山本vs玉城の「恐怖顔」対決があるのですが、玉城ティナの圧勝だったように思います。

富江

この映画を観るつもりは全くなかった。Amazonビデオで、サダカヤを見終わったあとで、オススメ作品として出てきた数作のうちの一本がこれ。しかも見放題となるのは10/31まで、ということで今しかない!
そして「バケモンにはバケモンをぶつけるんだよ!」の精神で、貞子、伽椰子に太刀打ちできる逸材としては彼女しかいないはず!と、
サダカヤに導かれるようにして『富江』を観るに至った。


見始めてすぐに思ったのは、全体的に古い!しばらく見ていたら違和感は無くなったが、それでも古い。
1999年は 、ちょうど社会人になった年で 自分にとっては 感慨深い年。
確かに今から20年近く前だけど、ここまで「古い」と感じてしまうほど、時代の移り変わりは早いのか…。ただ、主演の洞口依子の細い眉毛を見て、大学時代の友達を思い出したこともまた事実。
そして、後述するが、音楽と映像も時代を感じさせるものがあった。


さて、伊藤潤二富江』は大好きな漫画で、映画の土台となったストーリーも知っているのだが、映画のアレンジとしてはベストの組み方だと思う。
特に、富江の出番を抑えて、月子(洞口依子)の記憶喪失という状況に的を絞った中盤までがとても良い。
真ん中にポッカリ空いた穴を抱え、就職をどうしようかと言いながらも、ぼんやり日々を過ごす月子に、当時の自分を重ねたということもあるが、1999年という年自体が、そんな風に不安と空虚な感じが似合う時代のように思う。
その空気感を上手く盛り上げるのが、二見裕志が担当した音楽。『クリーピー偽りの隣人』も『貞子vs伽耶子』も恐怖感を煽る音楽で、それはそれで成功していたが、『富江』の音楽はそれらとは全く違う。
何もなければポップにも聴こえるが、不安感を煽る音楽。迷いを生じさせるような音楽。主題歌のユカリ・フレッシュも「もろ渋谷系」な感じは出しつつも、靄のかかったような音楽で、映画の雰囲気に合っている。


前半部で富江の登場を抑えたのは、菅野美穂のイメージが富江の一般的なイメージとは異なるからのように思うが、それでも後半に喋りまくる菅野美穂は成功している。確かに漫画『富江』の実写化と考えると完璧には遠いかもしれないが、前半部で月子の当惑を丹念に追いかけてきた映画『富江』の続きとしては満点であると思う。これは洞口依子とのバランスが良かったのかもしれない。
最後に富江は月子に「私はあなたで、あなたは私」と語りかけ、ラストでは月子が富江化するが、このラストも、やはり月子の内面の問題の顕在化であるように思う。
何度も言うが、月子の不安な気持ちを盛り上げていたのが、要所要所で流れるムーグの音楽で、自分にとっては懐かしさと不安感を併せ持つメロディだ。
大学時代を思い出す、忘れがたい映画体験となりました。

『貞子vs伽耶子』vs『富江』の結果

ということで、長くなりましたが、バケモンにはバケモンをぶつけた結果、自分の印象に特に残った作品は『富江』となりました。あの頃に青春時代を過ごした人には是非ともオススメの一作です。
なお、『貞子vs伽耶子』については、以下の記事もとても面白かったです。