「そっちなのか…」というラスト〜薬丸岳『闇の底』

闇の底 (講談社文庫)

闇の底 (講談社文庫)

こういう言い方は好きではないが、この作品の終わらせ方には驚いた。
そっちか!
そっちなのか!…と。


『書店ガール』を1巻から4巻まで一気に読んでしまい、一旦休憩のつもりで読み始めたこの『闇の底』。(普通は、本の種類で言えば逆の選択をするのだが…笑)
薬丸岳は、最近映画にもなった『友罪』や、タイトルが印象に残る『Aではない君と』など、犯罪を犯罪被害者もしくは加害者の当事者の立場から描くスタイルが得意な作家だと認識していたが、それは本作でも同じだ。
『闇の底』で対象とするのは、性犯罪。

子どもへの性犯罪が起きるたびに、かつて同様の罪を犯した前歴者が殺される。卑劣な犯行を、殺人で抑止しようとする処刑人・サンソン。犯人を追う埼玉県警の刑事・長瀬。そして、過去のある事件が2人を結びつけ、前代未聞の劇場型犯罪は新たなる局面を迎える。『天使のナイフ』著者が描く、欲望の闇の果て。(文庫裏表紙)


あらすじを読む限り、一気読みしてしまうような本に思えるが、序盤は少し入りづらい。
というのも、候補が数人いて、誰が主役なのか分からないからだ。以下の3人が出てくるが、読者は、誰に感情移入して読めばいいのか戸惑ってしまう。

  • 「序章」から登場する男。幼稚園児の娘・紗耶を誰より大切に思っており、彼女を守るためという理屈で、序章では内藤という性犯罪者を刺し殺し、のちにサンソンという名で犯行声明文を送る。
  • 小学生の牧本加奈殺人事件を担当する埼玉県警の長瀬一樹。自らも小学生の頃に妹を同様の事件で亡くしている。
  • 公園で見つかった生首事件を捜査する埼玉県警のベテラン刑事・村上康平。娘の日奈子が可愛くて仕方がない。

序章から第一章は、以下のように順繰りに視点が入れ替わりながら別々の場所での3つの話が同時並行的に進む。

  • 序章:サンソン
  • 1:長瀬
  • 2:村上
  • 3:サンソン
  • 4:長瀬
  • 5:村上
  • 6:サンソン
  • 7:長瀬
  • 8:村上(サンソンの名が記された犯行声明文が届く)
  • 9:サンソン

2章になると、村上と長瀬は組んで捜査をすることになるため、物語は整理され、混乱せずに読み進めることが出来るが、この構成は本当に巧いと思う。
読者として興味を惹かれるのは、殺人を犯したサンソンと、自らが犯罪被害者で、同種の事件の捜査を行う長瀬。2人がどちらも性犯罪を憎む立場ながら、片方は犯罪を犯し、片方はそれを捕える裏表の関係にある。だからこそ、長瀬と同じ警察側の人間である村上の存在意義が分かりにくい。
しかし、作者の意図はまさにそこにあるのだと思う。
長瀬の立場を、その辛さを知ってほしい。しかし、読者が長瀬に感情移入し過ぎるのは問題なのだ。
死刑執行人・サンソンが世間的な支持を集める中で捜査を続ける第2章以降も3人の視点の移動は変わらない。しかし、村上と長瀬が組むことで、長瀬は村上にとって観察対象となる。こうなることで、読者にとっても長瀬は観察対象となり、精神状態は大丈夫なのか、突飛な行動をとってしまうのではないか、と心配の目を向けることになる。
ややネタバレしてしまうが、この小説の終わらせ方は、長瀬を感情移入の対象にするのではなく、観察の対象にする方が都合が良い。



(以下は完全にネタバレ)



この小説の巧さは、読者の感情移入先を上手く操作する叙述にある。
まず、この小説の一番のトリックであるサンソンの正体。
小説を読み進めると、サンソンの言動の多くが、長瀬の父親に当てはまることがわかる。そして、実際正体が伏せられたまま最終盤に至り、もはや、この小説の中で、理由を持って性犯罪者たちを裁く行動に至る者は、長瀬の父親以外には残っていない。
このミスディレクションは、長瀬がサンソンへの共感を隠さないことで、読者も殺人犯の心の中の「一理」にも理解を示してしまうことで生じてくる。
殺人は許されることではないが、それでも罰されるべき人間が何の反省もせず、同様の犯罪を繰り返してしまうのなら、「理由のある人間」による私刑も仕方ないのではないか…。


しかし、傾きかけたその気持ちを根っこから折るのが、サンソンの正体である。
こいつは、自らが性犯罪者で、その自分勝手な欲望のために、「愛する娘のために」という、もっともらしい理屈をつけて殺人に手を染めているだけじゃないか。
やはり、どんな理由であれ、私刑を許すわけにはいかない!
…と、読者にそう思わせたところで、作者はさらにひっくり返すのだ。
読む側は左フックで顎を引っかけられたあと、強烈な右フックを食らってしまう。


左フックだけであれば、そこにあるものは「闇」だが、この右フックがあるからこその「闇の底」
ブラッド・ピット主演の「あの映画」を思い起こさせるような救いのないラスト。
このラストにすることで、作者の揺るぎないメッセージが伝わってくる。読後感として「面白かった」で終わらせてたまるか、読者の心に傷跡をつけてでも伝えたいことがあるという強い決意を感じる。
犯罪被害者の怒りと悲しみに焦点を当てて伝えようとする、この薬丸岳の問題意識が、他の作品でどのように表現されているのか、是非とも読んでみたい。