枡野浩一による名解説とセットで〜角田光代『だれかのいとしいひと』

だれかのいとしいひと (文春文庫)

だれかのいとしいひと (文春文庫)

転校生じゃないからという理由でふられた女子高生、元カレのアパートに忍び込むフリーライター、親友の恋人とひそかにつきあう病癖のある女の子、誕生日休暇を一人ハワイで過ごすハメになったOL…。どこか不安定で仕事にも恋に対しても不器用な主人公たち。ちょっぴり不幸な男女の恋愛を描いた短篇小説集。 (Amazonあらすじ)


初めての角田光代
一冊目は『八日目の蝉』にしようと決めていたのだが、あまりに美しいジャケと、解説の枡野浩一に惹かれてこちらを先に読むことになった。なお、表紙イラストは、『よるくま』等でも知られる酒井駒子
自分の角田光代に対する印象は、これまで、文庫解説などで、その文章に触れる機会が多かったこともあり、明晰で説得力があり、読む側に熱が伝わるような文章を書く人。先日取り上げた日経新聞のコラムもとても良かった。
その印象は、『だれかのいとしいひと』を読んで強化されたが、それ以上に「小説の巧い人」だと強く感じた。


この短編集に感じる巧さであり、面白さは、登場人物の心の動き、特に、男女も年齢も職業もバラバラな人たちの他人に向ける視線、もっといえば、他人に向けてすれ違う視線の描写にあると思う。
よく言うように、「それぞれが自分の人生の主人公」という言い方は、確かにできるだろう。しかし、皆が「主人公的」に生きるわけではないし、そう強いられているわけでもない。運命の人と巡り合わないどころか、目の前にいる恋人も自分以外の人のことを思っているし、自分も他の誰かのことを思っている。
だから、(表題作もあるが)『だれかのいとしいひと』というタイトルでこの短編集がまとめられているのは、色々と面倒くさい自分周辺の話よりも、だれか他の人が好きな人に向ける視線の方がドラマティックと感じるということなのかもしれない。
解説で、枡野浩一は、収録されている「誕生日休暇」について次のように書く。

初対面の男の奇妙な打ち明け話を旅先で聞くヒロイン、という構図を持ったこの短編を読みながら、角田光代特有の「行きずりの人への想像力」に思いをはせる。なんで彼女は自分ではないだれかの話を、こんなふうに自分のことのように、いとしそうに書けるんだろうと思う。関係ない他人のことなんか、ほっておけばいいのに。どうせ、他人なんだから。


まさにその通りで、例えば「完璧なキス」の主人公は「キスをするために恋愛をするようなものだ」というキス原理主義の男。この話では彼がいかにキスが好きかという話が前半にあるが、そんな彼が思いだすのは19歳のときの、さえちゃんとの完璧なキス。そして、さえちゃんの「一本主義」。

浮気をしないってことじゃないの。私はいまつきあっている人が自分に最適な人とは思っていないし、彼のことを好きかどうかもじつはよくわからない。でも彼とつきあうときめたのは自分で、そうきめたからには、自分の主義であるところを守らなければならない。だからあなたと寝るわけにはいかない。

それを聞いたとき、主人公の男は、心の中で舌打ちをして「めんどくせえ」と思っていたのだが、それでも彼は、それを否定しない。「キス原理主義」と「一本主義」は対立するのではなく、ただ単にすれ違ってそれぞれがそこにある。
「転校生の会」も少し似ていて、一度も転校をしたことがない主人公の女性が付き合っていた彼は転校経験者で、「転校を経験したやつとしないやつじゃ、決定的に何かが違う。ぼくが言ったことを、絶対にきみは、感覚的に理解出来ないと思う。」という少し変わった考えの持ち主。
そういう、どんな考え方、生き方も受け入れる雰囲気がこの短編集にはあるのかもしれない。
そして、その秘密の一部はあとがきにも書かれている。
角田光代は、ものすごくたくさん夢を見るのだが、そこにリアルな肌触りがあるから、日々、それらが現実に起きたことかどうか確かめなくてはならないくらいだという。しかも過去のこととなれば、確かめようがないから夢も現実も一緒くたになっているのだという。

恋愛、だとか、友情、だとか、幸だとか不幸だとか、くっきりとした輪郭を持ったものにあてはまらない、あてはめてみてもどうしてもはみでてしまう何ごとかがある。その何ごとかの周辺にいる男子と女子について書いた。それは、夢と現実のごっちゃになった記憶を掘りかえす作業と、どことなく似ていて、物語のなかで彼女や彼が見た、ひまわりや地味な夜景や、黄色い電車や花の咲く野は、いつのまにか私自身のひどく個人的な記憶になってしまった。

高校生の頃、はじめてつきあった男の子と江ノ電に乗って七里ヶ浜駅で降りて歌舞伎の凧を揚げた思い出話が出てくる「海と凧」は、まさにそんな思い出のようで夢のような風景の話。
こういうのが夜寝て見る夢で出てくるというのだから、すごい。また、そういう中で、多重人格のように、様々な風景や生き方、考え方が彼女の中に同居しているのかもしれないと思った。


それにしても枡野浩一。彼もまた解説の名手。
離婚裁判の件も混ぜながら身辺雑記風に角田光代と『だれかのいとしいひと』への思いを寄せる。

元恋人の部屋に忘れた、ポスターを盗みにいく彼女。好きになった女友達の、恋人までも好きになってしまう彼女。終わりそうな恋人とのデートに、姪っ子を連れていってしまう彼女。みんなみんな、どこかまちがっている。まちがっていて、僕みたいじゃないか。

この部分がまさにそうであるように、この小説は自分のために書かれたと思い込んでしまえるところが、枡野浩一の才能だと思う。そして、その解説を読むと、短編集全体がいとおしくなるのだから、それも解説として十分機能していると思う。

解説も楽しい文庫はとても満足度が高い。この短編集はまさにそんな例だ。