みんなの不安の物語〜マルヨライン・ホフ『小さな可能性』

小さな可能性 (児童単行本)

小さな可能性 (児童単行本)

キークのパパは、お医者さん。たくさんの人を助けるために戦争をしているところへ向かった。心配で心配でしかたないキークは、パパが、無事に帰ってくる可能性を、できるだけ大きくしたい。そんなキークの不安な気持ちが一人歩きし始めた。可能性って大きくしたり、小さくしたりできるの?
オランダ発児童文学の名作、金の石筆賞受賞作品。金のフクロウ児童文学賞、金のフクロウ子ども読者賞、同時受賞。 (Amazon紹介文)


あまり読んだことのない変わった展開もあって、「お話」としてではなく、少し自分に引きつけて考えさせられるような話だった。
キークは物語の冒頭で次のようなたとえで不安な気持ちを表現する。

いままでの旅は、いつも、いい終わり方をしてきた。旅が終われば、パパはけがもしないで家に帰ってきた。でも、わたしは、その旅がなわとびをとぶのにちょっと似ている気がして、心配だった。長い間、うまくとんでいても、ずっととべるわけじゃない。きっといつかは、ひっかかっちゃう。

物語を通してどうしても気になってしまうのは、キークの不安、つまり、パパが「なわ」に引っ掛かる小さな可能性が現実のものになってしまうのかどうか。
それほど長くない児童書なので、自分は「パパ」が無事に戻ってくることを望みながら、それこそ戦地で本当に亡くなってしまう「小さな可能性」も想像していた。
ところが、そのどちらでもなく、物語は予想以上に現実的な方向に進む。具体的に書かないが、この終わらせ方は、日本の児童書と比較すると相当に変わっていると思う。


ただ、本筋からすれば、パパが帰ってくるかどうか、は二の次で、パパを待つキーク、キークの母、祖母の3人の不安が丁寧に描かれた物語であることが、この本がオランダで評価を受けた理由だ。
パパからの連絡が途絶えてからしばらくしたときのキークの言葉が胸に迫る。

しばらく、だれもなにもいわなかった。
「わたし、上に行くね」
うちのパパは、どうしようもないぐらい、行方不明だった。さっきのマルフュの言葉と、いまのおばあちゃんの言葉のせいで。
わたしは立ち上がって、自分の部屋にむかった。二階の窓はあいていた。ママとおばあちゃんの話し声がきこえてきたけど、話の中身まできこうとは思わなかった。
p82

不安な気持ちが堰を切って溢れだしそうだ。
ついさっきまでは「連絡がしばらくない」だけだったのに、ふとした瞬間から「どうしようもないぐらい、行方不明」に変わってしまう。そんな切羽詰った感じが伝わってくる。


こういった不安を打ち消すために、つまり「可能性」を小さくするためにキークは、ある突飛な行動に出る。
この部分について、よう太は、主人公に全く共感できないと半ば怒り気味で感想を教えてくれた。
確かにその通りで、不安な気持ちがいかに強くても、理屈に合わない行動に出ることは間違っている。
でも、理屈は分かっていても間違ったことをしてしまうのも人間なのだ。
キークの母は、キークに対して「考えと行動。このふたつは、ばらばらなことなの。」と理解を示すと同時に、自身が「間違った考え」に向かってしまうことがあることを打ち明ける。
つまりある程度年齢を経て、「間違った考え」に向かってしまった経験を自覚しないと、キークのことを分かってあげることは難しいかもしれない。その意味では、よう太には少し早かったのかもしれない。


一方で、もう少し年齢が進めば、キークに似ている部分が自分にもあることに気が付くだろう。本を読んだあとで自分の中の不安定な部分に目を向けることになる。

なにが本当かわからなくなっているとき、想像にまかせて行動することは危険です。行動を踏みとどまる理性がいかに大切か、この本は伝えています。心配なときに、ときどきおかしなことを考えてしまう。そんな「キーク」は、わたしたちひとりひとりの心の中にいるのです。
p167訳者あとがき

そして、優しい心を持って人に接するためには、自分も相手も常に理屈通りに、常識通りの行動をできるのではなく、ときにそこからはみ出た行動をしてしまうことを理解してあげることが必要なのかもしれない。
パパは、いつもキークに言っていた。

「キークは、こわがりやの男の話を知ってるだろ?」と、パパ。
「うん」
その話なら、パパがなんどもきかせてくれた。こわがりやの男は、家の外に出る勇気がなかったんだ。外はあぶないと思ってたから。でも、ある日、太い木が家の上にたおれてきて、こわがりやは死んじゃった。
「だったら、わかるね。事故は、どこでも起きるんだ。ひとりでこわがって、家でじっとしているのは、ばかばかしいよ。みんなが家にこもっていたら、世の中はなにも変わらない。
p6

自分は、こういった「パパ」の意見に共感できない部分もある。屁理屈のように感じてしまう部分もある。第一、いつも、キークやママはパパの帰りを不安な気持ちで待っているじゃないか、と思ってしまう。全編を読み直しても、やはり、違和感が残る。
そもどもポジティブなニュアンスで用いられる「可能性」を、悪い方の可能性の意味でタイトルにつけているところもスッキリしない部分だ。
でも、そこが、とても人間っぽい話であると思う。


「傑作」という感じの物語ではないが、多くのひとの心に引っ掛かる部分がある物語だと思う。
読んだ人に感想を聞いてみたいタイプの本だった。