行ってみたい廃墟、魔窟、超級迷路〜宮田珠己『四次元温泉日記』
- 作者: 宮田珠己
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/12
- メディア: 単行本
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- 食事が…温泉が…おもてなしが…という宿の選び方は、一般常識としては分かるが、それらがパーフェクトに整っていても、お金がかかる割には想像通りの世界があるだけだろうと、やや冷めてしまう。
- そもそも味覚をはじめリッチを味わう感覚が非常に乏しい。
- したがって、いざ旅行に行くと、自分が(気持ちに嘘をつかずに)単純に驚ける「非日常的」風景ばかりを探してしまう。
- また、千と千尋の神隠しの面白さは、ストーリーとかキャラクターじゃなくて、あの建物(油屋)の「秘密基地」感*1にあると強く思っていた。
宮田珠己さんは、辺境・探検・ノンフィクション作家の高野秀行さんが本やネット上で再三に渡ってオススメされていたことから名前はよく知っていたが、最初に読む本がこれでとても良かったと思う。
「迷路っぽい温泉宿を辿る本」と書くと、ネタが面白いから成り立つ本ではないかと感じるかもしれないが、ネタよりも人の面白さが際立っている本だった。宮田珠己さんの好きになれる部分をいくつか並べると以下の通り。
温泉本来の良さ(泉質など)には無頓着な「違いのわからない男」であるところ
色んな温泉を訪れては、同行者二名から突っ込まれるように、宮田さんは温泉の良さが分からない。いや、自分の感覚を信じて温泉の良さという「権威的なもの」に反抗しようとするさまは、むしろロックな感じがする。
冒頭で、この企画開始前の温泉観が吐露されるが、相当にひどい。(笑)
私は、人生に風呂などまったく必要なく、体を洗うならシャワーがあれば十分と考えて生きてきた。もちろんシャワーだって、服脱いでまた着るという強制労働はついてまわるのだが、とにかく温泉なんぞ冷え性とか低体温の老人が行くところだと決めつけて、ずっと避け続けてきたのである。学生時代、温泉好きの友人に対しては、温泉?お前老人か?とよく小バカにしていたぐらいだ。(p8)
四万温泉S旅館の温泉描写。「形状」の素晴らしさについて述べたあとにも…
泉質はどうだったかというと、それについては不明である。
そこが肝心なところじゃないか、という意見もあろうが、私には判別不能というか、知ったことではないというか、かすかに硫黄の匂いがしたけれども、他の温泉との違いは全然わからない。どころか家の風呂との違いも微妙だ。ちょうどいい湯加減だった、とだけ言っておく。(p90)
このつっけんどんな感じは始終変わらない。(笑)
温泉でなく旅館の迷路っぷりを褒めるときの落差が大きいこと
温泉だけでなく、料理や旅館のおもてなしに至るまで、自分の興味のない観点は、ばっさりとカットしているところが素晴らしい。
例えば、微温湯(ぬるゆ)温泉に行ったときの食事描写がひどい。
余談だが、この宿の夕食は、ほかほかしてとてもうまかった。小鉢が並ぶのは同じでも、他の旅館の食事と比べて何かが決定的に違う。
とはいえ残念ながら、私は普段から何食べてるのかよく観察せずに食べているため、違いの理由はわからなかったのだが、虫除けなのか、食事に古地図がかけられていたのも、よかった。大正12年のこの付近の地図で…(p152)
他と違って決定的に違ったと褒めているのに、何を食べたのかすら書かず…。
一方で館内の想像平面図を書こうとするときの悪戦苦闘っぷりなど、通常の旅行エッセイではあり得ないところに贅沢に行数が費やされており、一部はついていけない。
この引き戸は壁だと思っていた側ではなく、むしろ市道に近い側にある。なので直感的に、この先にそれほどの空間があるとはイメージしていなかった。すぐ市道に出てしまうと思ったからだ。ところが予想に反して、引き戸の奥にでかい部屋が広がっていたときには、ここはナルニア国かと思ったのだった。
なんてアメージングなんだA旅館!
あまりの素晴らしさに、かくれんぼしたい気持ちがムラムラと盛り上がってきたが…(p44)
とはいえ、迷路な宿めぐりという部分が、この本の核だからそこが楽しいところではあります。
時に感覚が繊細過ぎる、というか潔癖症気味なところ
アジアなどの旅行も好きなのに、潔癖症というのは、やや矛盾している気もするが、かなり細かいところが気になる人で、言われてみれば納得できるようなできないような、重箱の隅をつつくような感性に驚く。
まずは、何度も出てくる「かけ流しと言っても汚い部分があるのでは?」という疑念。
湯舟の中には、お湯が入ってくる箇所と出て行く箇所が結んだ流線のなかに含まれない領域が当然ある。川でも、流れからはずれた岩陰などは淀んでゴミがいっぱい浮かんでいるものだ。そうするとそうした湯舟のゴミは排出されないんじゃないのかというのが私の流体力学的疑念である。(p55)
さらに、温泉では浴衣が良い理由の説明。(まあ、そうなんですけど…)
(ジーンズなりジャージなりは)脱ぐときはまだいいが、穿くときに湿った足を通すのが不快である。タオルでいくら念入りに足を拭いたとところで中が湿気るのは避けられないし、濡れた床に裾がつかないよう、片足立ちでぴょんぴょん飛び跳ねるのも苦痛だし、濡れた足の裏に貼りついているかもしれない小さなゴミとか他人の髪の毛とかが、脚を通す途中で剥がれてズボンの中に残留という、ささやかだけど重大な懸念もある。(p92)
また、第2章で数ページを割いて「かけ湯だけして体を石鹸で洗わない派」に対して疑問を投げかけているが、そういった感覚は分かる。体を綺麗にするために入る温泉という場所だからこそ、こういった「清潔」「不潔」の話が多数出てくるのだろうが、そのテーマ自体が宮田珠己さんの感性的にツボだったのかもしれない。
総括と四次元温泉一覧
紹介される温泉宿も文体も猛烈に面白いが、それだけではなく、周りの影響で温泉観が変わり、人生の楽しみ方を新たに発見していくような、、人間的な成長物語として読めるのもいい。
これが一人であったら、ちょっと変わった人なのかもという印象に終わる可能性もあるところを、同行者がいる(ただしそれぞれが自分勝手)ことで、信頼していい人に思えてくるのがマジックだ。
ただ、旅館の名前が伏せられているところはいいとしても、写真数の少なさは残念だ。もしかして初回特典で別冊付録的なものがついていたのだろうか。Web連載時には、もっとふんだんに写真が使われていたのだろうか。
ということで、紹介されている温泉については、調査しているブログがあったので、引用先を確認して再整理した。(12章「九州湯めぐり行」のそれほど魅力的でない温泉については割愛し、作中で評価が高いものに★をつけた。)
文中でも書かれている通り、それほど高級ではない宿も結構あるので、いくつかの温泉宿は実際に行ってみたい。
章 | 場所 | 温泉名 | 旅館名 | コメント |
---|---|---|---|---|
1 | 鳥取県東伯郡 | 三朝温泉 | 木や旅館 | 監獄風の風呂とレトロな宇宙船のような部屋★ |
1 | 島根県大田市 | 温泉津(ゆのつ)温泉 | - | 「熱い湯」は47.5度という鍋のような風呂 |
2 | 三重県伊勢市 | (温泉ではない) | 麻吉旅館 | 公道にかかる橋を持ったアメージングな超級迷路★ |
2 | 和歌山県熊野市 | 峰の湯温泉 | あづまや旅館 | 世界遺産のつぼ湯 |
3 | 栃木県那須 | 北温泉 | 北温泉旅館 | 魅惑の五叉路。大雑把な天狗の湯。夢に見たような四次元温泉★ |
4 | 群馬県 | 四万温泉 | 積善館 | 油屋のモデルの1つ。2-2-1のフォーメーション湯舟。裏表紙写真。 |
5 | 岩手県花巻市 | 花巻温泉峡 | 大沢温泉 | 川沿い露天。まずまずの迷路感。 |
5 | 岩手県花巻市 | 花巻温泉峡 | 藤三旅館 | 冥土に片足突っ込んだような異次元感!水深125?の白猿の湯★ |
6 | 秋田県大館市 | 日景温泉 | 日景温泉 | 思った以上にでかい錯綜した増築建屋 |
7 | 福島県福島市 | 微温湯(ぬるゆ)温泉 | 旅館二階堂 | 湯温31度!日本ぬる湯温泉番付ダントツ1位 |
7 | 宮城県大崎市 | 東鳴子温泉 | 高友旅館 | 廃墟のようで壮絶な味わいのある黒湯!★ |
8 | 山形県最上郡最上町 | 瀬見温泉 | 喜至楼(きしろう) | 間違ったものが間違ったまま受け継がれた感じの意匠・ローマ式千人風呂・謎のふかし湯 |
9 | 静岡県伊豆の国市 | 伊豆長岡温泉 | 南山荘 | <お伽の国>感を醸し出す、文豪も愛した迷路。表紙写真 |
10 | 神奈川県足柄下郡 | 湯河原温泉 | 上野屋 | エッシャー感漂う三次元パズル風旅館。 |
11 | 別府市井田 | 別府鉄輪温泉 | 陽光荘 | そこらじゅう謎だらけの魔窟。美味!地獄蒸し! |
12 | 別府市井田 | 明礬(みょうばん)温泉 | 別府温泉保養ランド | チクチクが残念な泥湯 |
12 | 鹿児島県姶良郡 | 新湯温泉 | 国民宿舎新燃荘 | 工事現場みたいな風呂。火山性ガス危険。 |
13 | 長野県下高井郡 | 地獄谷温泉 | 後楽館 | 野生のサルと入浴できる |
13 | 長野県下高井郡 | 渋温泉 | 金具屋 | ブレードランナーのような温泉街にある最上級の迷路宿★ |
14 | 岐阜県下呂市 | 下呂温泉 | 湯之島館 | 妖しい家族風呂 |
p47に名前だけしか挙げられていないが、噂に名高い那智勝浦のホテル浦島も一度は行ってみたいホテルだ。
温泉行きたいなあ。
参考(過去日記)
- 不自由という幸せ〜高野秀行『未来国家ブータン』(2012年6月)
- エンタメ・ノンフの扉が開いた〜高野秀行『辺境中毒!』(2012年3月)
- 高野秀行『腰痛探検家』(2011年3月)
- 高野秀行『ミャンマーの柳生一族』(2007年10月)
宮田珠己さんを知るきっかけになった高野秀行さんの著書は、どれも面白かったが、この中では、特定の国にこだわった「ブータン」「ミャンマー」が良かったかも。最新作のソマリランドも早く読みたいです。
- 作者: 高野秀行
- 出版社/メーカー: 本の雑誌社
- 発売日: 2013/02/19
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