見た目中心社会が生む悲劇〜安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て』

脂肪と言う名の服を着て-完全版 (文春文庫)

脂肪と言う名の服を着て-完全版 (文春文庫)

やせること、きれいになることへの執念と葛藤を丹念に描き『週刊女性』(主婦と生活社)連載時から世の女性に衝撃を与えた究極のダイエットコミック!!

最近の読書では、何故か男女の考え方の差について考える本が多かったが、この本は正にその傾向が強い漫画だった。


主人公・のこは、長年付き合ったカッコいい彼氏(斉藤くん)の浮気を知ったのがきっかけで、極端なダイエットに走る。もともと過食傾向にあったこともあり、このダイエット描写は壮絶で、「やせ」に向けた“のこ”の過剰な願望は、通常の体型になっても止まることはなく、体はどんどん痩せ細る。全体のあらすじを簡単に説明するとこんな感じだ。
確かに、“のこ”の考え方は極端だと思う。しかし、それ以前に(自分が女性だったら)通常の女性が持っている「見た目を意識する生き方」の波に、すんなり乗れて行けるのかが不安だ。自分が「見た目」にあまり気を使わずに暮らせるのも男だから許されることなのだろう。面倒だからと、誰と会うでもない週末は髭を剃らなかったりする今の生活は、日常生活に化粧が欠かせない女性であればあり得ないのかもしれない。
そういう意味では、自分は“のこ”に同情したり、反発を感じたりする資格がないと感じる。

“のこ”のセリフ

だって何か言うことなんてできないよ
斉藤くんは かっこよくて
8年もずっと あたしとつきあってくれて
なのに あたしが文句言うなんて
そんなこと
浮気しても 約束破っても やつあたりしても
そんなのがまんできるもん
(のこ 第二話)

のこ「あたし……太ってることでずいぶん……イヤな思いしてきました
彼も浮気をして……会社でも嫌われて
もうイヤなんですあたし
やせたい
こんな肉もういらない
やせてキレイになりたい」
藤本「やせたら幸せになれると思えるのかね」
のこ「今よりは……」
(第四話)

目に焼きつけておくんだ この姿……
太ってて みじめで 会社でもどこでも嫌な思いして
それだけで生きてる値打ちも無いような目で見られる毎日
だから……二度と戻りたくないから 絶対忘れない
やせる……
やせなかったら……あたしはあの地下室から一生出られない
(のこ 第八話)

作品中で“のこ”は改心することなく、最後まで、デブ←→痩せの行ったり来たりを続けるところが怖いところ。物語的なカタルシスは無い。
自分が「見た目」に振り回されたことが無いから、実際に“のこ”みたいに悩んでいる人がいても、こちらとしては適切なアドバイスは出来そうもない。そういう意味でも難敵。
ただ、彼女をはじめとして、主要キャラクタはどれも共感しにくい。だから最後まで気が抜けない。

斉藤くん

女なんて何もかもゆるくて
間抜けなほうがいいに決まってるんだ
やすらぎなんだから
あいつらに求めるのはやすらぎだけなんだから
(斉藤くん 第六話)

今すぐ のこはあの角を走ってくるだろう
「あなたは私の太陽です」という顔をして巨体をゆらし わき目もふらず
そうして俺はいつだって完璧に優しい笑顔だ
「外見じゃなく心で彼女を選んだ男」
やすらぐよな……そんな自分に本当にやすらぐ
(斉藤くん 第六話)

“のこ”のカッコいい彼氏 斉藤くんは、ちょっと変わっている。
まず、とにかく「見た目優先」の考え方が大嫌い。見た目に振り回される女性も嫌いだし、自分は見た目で選びたくないと思っている。
さらに、母子家庭で母親嫌いという環境の影響もあり、極端な女性不信。
これも極端。第一、この人、ハンサムじゃないですか。分かる部分もあるけど、共感しにくい。

マユミ

のこみたいな女じゃないと安心できないのね
弱くて太ってて 誰からも相手にされないような
そんなかわいそうな女を捨てるなんて
罪悪感が大きくて たえられないんでしょ?
偽善者だから!!
(マユミ 第三話)

昔からデブが嫌いだった
モタモタしておびえてるのも
堂々として自信ありげなのも同じようにイラつくの
そんなときは容赦なくたたきのめしたものだわ
うちひしがれたデブを見ると不思議ね
心が落ち着いて浄化されて ますます自分がキレイになる
(マユミ 第九話)

“のこ”を目の敵にする同僚のマユミ。
彼女の感覚はのこや斉藤くんに比べると、共感できないが分かりやすい。
でも“のこ”を異常なダイエットに走らせたのも、マユミみたいな、見た目に恵まれていて(勿論努力をしているのだが)、性格が曲がっている人がいるから。許せないけど、これくらいの考え方をする人は結構いるよなという印象。

「正しい見方」をする人たち

「キレイ」かね これが
よく鏡を見てごらん
骨ばった手・肩・腰・ひざこぞう
どれもゴツゴツだ
ちっともキレイじゃねえ
幸せなわけがない!!
(藤本さん 第十三話)

もう誰のせいでもない
もとから誰のせいでもない
太ったのは そうやって人のせいにしている
あなた自身のせいなのよ
(スーパースリムセンターの人 第十四話)

“のこ”は、「正しい見方」をする複数の人からアドバイスを貰っているんだけど変われない。つまり、こういう人は他人からいくら言われてもダメで、自分自身が乗り越えていくしかないという結論になってしまうのが怖いところ。それでは“のこ”は一生変わらない。
だから、このルール(見た目中心の価値観)は絶対じゃない、ということを語る人がもっと多くても良いんだと思う。「醜い方が善」とか過剰なことを言ってしまった方がバランスが取れるくらいだ。
現代社会で快適に生きていくには、視覚依存の時間をできるだけ減らすことが重要なのでは?そんなことを考えています。

とにかく現代人にとって、この世界で生きる上での落とし穴ってたくさんあると思うんですけど、この「見た目中心の価値観」が我々の魂に及ぼしている毒というのは、相当強いと思いますよ。一瞬たりともその価値観から離れられずに僕たちは生きているわけですから。
茂木健一郎『まっくらな中での対話』)