本屋と書店員をもっと好きになる本〜永江朗『本の現場』
- 作者: 永江朗
- 出版社/メーカー: ポット出版
- 発売日: 2009/07/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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当日、他の方のプレゼンを聞いて、何冊か買ったにもかかわらず、結局、(予想通り)図書館で借りた本書を先に読んでしまう結果に。しかし、タイトル通り、本の現場について、いろいろな角度から光が当てられており、勉強にもなり、これまでよりも本が好きになった。(永江朗さんの本は『不良のための読書術』以来かもしれない。)
なお、本書の内容についてと、その「スゴ本」たる所以については、dainさんのブログを読まれたし。
「棚」をつくる楽しさ、難しさ
この本の中で繰り返し出てくるのは「棚」という言葉。
最近のスゴ本でも「おかしな本棚」という本が取り上げられていたが、「本」単体ではなく、本の集合体である「棚」から醸成される何とも言えない空気を味わうことこそが、本読みとしての幸せで、それを提供できるのが書店の醍醐味ということなのかもしれない。
しかし、POSシステムや取次のパターン配本へのお任せによって、書店の棚からは主体性が失われてきている部分もあるという。出版点数が増えた分、書店員の仕事の中で「棚」をつくることが占める割合が減ったということなのだろう。
もちろん今でもデータは売れた結果でしかなく、その意味では常に過去のものである。これから何が売れるか、読者が何を求めているかは、書店員が探っていくしかない、と考える書店員もいる。しかし、大型店やチェーン店が合理化を進め、書店現場に経験の蓄積がなくなってしまったいま、「過去のもの」でしかないPOSデータが書店の棚をつくり、ベストセラーをつくっている。
P179
委託販売制は書店にとってすごく楽できるシステムなんです。取次のパターン配本に任せておけば、平均的な品揃えができてそれなりに回っていく。主体性を放棄した生き方をするにはいいんじゃないですかね。
P201
図書館も、図書購入を「図書館流通センター」(TRC)任せにしているところが多いという話だし、レコード店なども状況は同じだ。
いろいろな分野で同じ話を聞かされてきたが、今回「棚」をつくるという言葉で、書店員の存在意義を再確認した気がした。
書店員さんの頑張り〜「ドヤ棚」ではなく
上で引用した部分もそうだし、永江朗自身が書店員だったということも理由なのだろうが、本文中では、書店員に対してやや厳しい視点の意見が多い。
そんな中で、現在の書店員の頑張りを肯定的に取り上げているのが、11章の「本屋大賞と読ませ大賞」。
ちょうど、先日の第145回芥川賞・直木賞では、芥川賞が受賞作なしとなるなど、前回(朝吹真理子・西村賢太が芥川賞受賞、道尾秀介が直木賞受賞)の反動が来て、書店での盛り上がりも今一だが、元々は、本屋大賞の生まれたきっかけも、既存の文学賞への不満だという。
特に2002年下半期の直木賞では、横山秀夫『半落ち』や角田光代『空中庭園』などが候補となりながらも受賞作なしとなり、不満が爆発。そんなタイミングで行われた書店員同士の飲み会から、本屋大賞の開催が決まったという。
その後、第1回、第2回と順調に発展して行った本屋大賞は、第3回では既にミリオンセラーとなっていたリリー・フランキーの『東京タワー』を選ぶ。確かに賛否が分かれたのもよくわかるが、これも、あくまで参加書店員による正直な投票の結果になっているというのが見えるので、ひねくれていなくて好感が持てる。
本屋大賞に合わせた、売る側としての書店の努力も、裏話的に読むことができて、この章は非常に楽しく読めた。*1
本書を読んでの自分の一番のツボは、こういう普通の本屋での、普通の書店員さんの努力が見えたところ。そして、それが「棚」に表れているところ。10章と巻末では、幅允孝(はばよしたか)さんのブックディレクターとしての仕事について触れられているが、何となく、このような、いわば「ドヤ棚」は、自分が気軽に本屋に本を探しに行くときの気分とはそぐわないので、気後れしてしまう。
それよりも、普通の書店での、異常に熱の入った手書きポップとかにそそられてしまう自分がいる。
今は無き上野のエキナカ書店(ブックエキスプレス上野店)の写真のポップ(桜庭一樹『私の男』)を見たときの衝撃は、忘れられない。
9章の新書ブームのところでは、05-07年のベストセラー1位作品を「そろいもそろってクズみたいな内容」と言い切るなど、歯に衣着せない物言いも面白く、永江朗さんは、久しぶりに読んでも、やっぱり面白かった。
参考(過去日記)