事件に関する意見

id:swan_slabさんの日記には、とても共感できた。

むしろ、自分自身のなかから憎しみや怒りなどのネガティブな感情そのものが悪であるかのように大人が扱い、邪悪なことを一切考えないのが正しい子供であるというように大人の間でコンセンサスが生じてしまうと、子供は一層、そういう感情をどこに隠していけばいいか悩み狂うのではないだろうか。

難しい話だが、教育については大人が安心するためだけの政策になっていないか、よく考えなくてはならない。
この日記の中で、以下の頁にリンクが張られているのですが、これがかなり凄い。
子どもへの方策 ← 教育改革国民会議資料より

  • 団地、マンション等に「床の間」を作る
  • 学校に畳の部屋を作る
  • 学校に教育機関としてのシンボルを設ける
  • 「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う

とかも相当変なのですが、swan_slabさんも挙げている以下の6項目はまた凄い。
かなり突っ込み頻度が高いので是非見てください。

  • 子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
  • バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う
  • 名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する
  • 他の子どもの学習する権利を妨げる子どもを排除する権限と義務を学校に付与する
  • 警察OBを学校に常駐させる
  • 出産後の親業教育の義務化

森首相はこんなことやっていたんですね。
日本の政治批判を煽って、無駄金使っていると突っ込まれるためにわざとこういうことをして、HPに残しているのかもしれません。
閑話休題
今回の事件は、学校の就業時間中に起きたということで、これまでよりも学校側の責任が問われ、教育界全体もそれを意識しているのかもしれない。しかし、このことによってさらに教師の負担が増えるのは考えものだ。(ネットの教育だ何だといっても、全ての教員がネットに触れる生活をしているわけではないし。)
教師というのは職業の一種でありながら、それを超えた存在になりすぎてないか?